蒼Qあれ!

ロードバイクチーム『Be-Blue』のブログ

人は必ず老いて死ぬ

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実走TSS48.8

本日はピンク筋の素材となる速筋を鍛える日。

 

人は必ず老いて死ぬ。

すごく当たり前なんだけれど、この当たり前のことを多くの人は真の意味では理解していない。

人生の時間は有限である

人生の時間は非常に限られている。どんな金持ちも政治家も資本家も、一般大衆も、いつかは必ず死んでいく。これは自然の摂理であって、この地球上の生命にとって、絶対に逆らうことのできない真理であるが、実は、その真の意味を理解している人は、多分ほとんどいないだろう。

特に20代の若い人にとって、「人はいつか必ず死ぬ」ということの真の意味を理解することは難しいだろう。(ここで言う「理解する」という言葉の定義は、ただ頭で意味を記憶しただけではなく、理解した内容を活用し自らの行動を変容できる、ということと定義する)

逆に言うと、年老いた80代、90代の方はそのことの意味を真に理解している人が多いように見受けられる。

なぜならば、そういう方々は、「なぜもっと若いうちに色々とチャレンジして楽しまなかったのだろう……」と後悔している場合が多いからだ。

そして、そういったお年を召した方々は、口を揃えて、皆一様に同じような言う。

「おカネがあっても、この歳になったら、やりたいこと、買いたいもの、行きたい場所、食べたいものがたくさんあっても、もうなにもできない」と嘆いている。

「Time is money」は時間を甘くみすぎている

「時はカネなり」なんて言うけれど、それは時間を甘くみすぎた考え方だ。時間はカネよりも重い。僕はそう思って、この世知辛い資本主義の世の中を辛うじて生きている。

なぜ、時間はカネよりも重いのか?賢明な方なら、上記した、終末を迎えた高齢の方の言葉を見るだけで、理由はすぐにわかるだろう。

おカネというのは、飽く迄も現行の政府や中央銀行が信用を創造しただけの紙切れに過ぎない。幻想に近しいものがある。しかし、僕たち人間の、「勇気と元気さえあればなんでも出来る若い時代」というのは、過ぎ去ってしまったらもう二度とは戻ってこない現実である。

確かに、この世を生きる上で、おカネというものは必要であって、現実生活と切っても切り離すことのできないものであることには間違いない。僕たち資本主義社会における一般的な労働者は、自らの人生の貴重な時間を切り売りして、おカネというものを得ながら生活をしている。せざるを得ない。

しかし、若い頃の、もう二度とは戻れない、なんでも出来る元気で健康な時期・時代を、ただおカネを稼ぐためだけに兌換してしまっていいのか?

貴重な時間を切り売りすれば、確かにおカネは得られるだろうし、貯蓄・備蓄も蓄えられるだろう。おカネは大事だ。無用とは言わない。僕も、おカネという常識に支配されながら辛うじて生きながらえている身の一人だ。

でも、年老いて、目の前に残されるのは、おカネという名のただの紙切れと、それを使うことさえできない自らの老体である。本当にそれでいいのか、と思うこともある。

若い頃の先延ばし癖に足元をすくわれる

多くの若い人たちは、自分が年老いることなんて夢にも思っていない。僕も20代の頃はそうだった。

ずっとこのまま元気で若いまま、永遠に健康に生きていけると、本気で思っていた。

そういう幻想に甘んじているから、本当は今しかできない大切なことを、明日でもいいや、来年でもいいや、おカネができてからでもいいや、子供が自立してからでもいいや、収入が増えてからでいいやと、どんどんどんどん、簡単に先延ばしにしてしまう。

若いうちは確かにそれでもいい。

20歳でやろうと思っていたことを、25歳でやるのもいいだろう。

25歳でやろうと思っていたことを、30歳でやるのもいいだろう。

しかし、そうやって、「根拠のない永遠の若さ(という幻想)」を言い訳にして、物事を先延ばしにばかりしていると、そういう生き方が癖づいてしまって、いくつになっても、物事を先延ばしにしてしまう人間が出来上がる。

そうして、いつしか気付いたら、おカネだけは持っている、若い頃になにもチャレンジしてこなかった、つまらない老人が出来上がるのではないか。(僕の両親が、その典型だろうと、個人的に感じている)

そして、年老いてから皆、「もっと若い頃に◯◯をしておけばよかった……」と後悔する。

もちろん、僕風情の若輩に、諸先輩方のそういった生き方や結末を否定するなんてことはできない。僕だって日々、そういった無為と戦いながら生きているだけの末端に過ぎない。明日は我が身だ。

けれども、だからこそ、後悔するような人生だけは送りたくないと思っている。

当たり前の今日を必死に生きることが大切

僕は、年老いてから、否、今日にも明日にも「今死んだって別に全然後悔することはない」と心底で言えるよう、なんでも出来る、若い今を必死に生きようと心がけている。

それが、僕にとって、多分自転車なんだと思う。

今日だけを、必死に、全開で生きる。

毎日必ずできることではないし、サボってしまうこともたくさんあるけれど、そういう心がけはとても大切だと思っている。

自分はいつかは死ぬんだ。

いつまでも若くはない。

毎日少しずつ、確実に衰えている。

この事実を真に理解した時、人は、本当の意味での行動ができるようになるのではないか。

逆に、いつまでも元気なままで生きていけると勘違いして思い上がっている人は、明日やろう、明後日やろうと、物事をどんどん先延ばしにしてしまうのだろう。

とても怖い。

元気で健康で、その気さえあればなんだってできる時間なんて、人生のうちのほんのわずかだろう。

そのわずかな貴重な日々と時間を、毎日ただ塗りつぶしているだけの人生というのは、非常にもったいない。

何事にも真剣になれない病

漫画「カイジ」の利根川の言葉に、すべてが詰め込まれている。

iitokoronet.com

多分、真剣になれない原因は、今という奇跡が、いつまでも当たり前に続くという勘違いをしているからなのだろう。 

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