僕は「いい人」なのか
今日は自転車には一切乗らず、完全休養日
「いい人」という言葉の定義によるだろうが、そう見られるのは悪い気分ではない。ただし、それには一つ条件がある。
それは、相手が僕をナメていない、ということ。それだけである。
「いい人」の定義
それは良くわからない。
僕は表向きには社交的だし、よく人から道を尋ねられたりする。基本的には温厚だし、滅多なことでは怒らない。そういう、僕の表面上の人格を他人が観測した結果「いい人」とか「優しい人」という表現になるのかもしれない。
もう少し突っ込んだ(意地悪な)表現をするなら、「いい人」という言葉は、その言葉を使っているその人にとって、相手が都合の良い人間である場合、多く使われているような気がする。端的に言うなら、「利用価値がある」=「いい人」という図式である。
OSWを怒らせたら終わり
先にも書いたけれど、僕は基本的には温厚だし、滅多なことでは怒らない。中学生の頃は、周囲の同級生から「OSWを怒らせたら終わりだよな」とよく言われていた。これは、僕にとって非常に嬉しい褒め言葉?でもあり、当時の僕を知る友人たちからすれば、非常に僕を的確に表している表現だろう。
OSWは滅多に怒らない。
その代わり、OSWを怒らせたということは、相手がよっぽど酷いことをしたという証明でもあったのだ。
まあ、これは飽くまでも中学時代の話なんだけれども。
僕はよく「ナメられる」
僕のことをよく知る人間(例えばチームメイトの井上くん)は、一度でも怒り出した僕がいかに恐ろしく歯止めのきかない人間かをよく分かっていると言う。(非常に心外だ)
もちろん、とうの僕自身には、人様に温厚に見せているつもりはないし、どちらかというとナメられないように心がけながら生きているのだけれど、第三者的には、非常に温厚で大人しい人間に見えるらしい。
だから、僕はよくナメられる。
「こいつなら、何をしたって・言ったって怒らないだろう」って。
でも、僕は基本的には気性の激しい人間だし、確かに怒り出した時は、普段の大人しい様子からは想像がつかないくらい、人格が破綻しているかもしれない。(自分では自覚がない)
「おっす、オラ悟空」と笑顔だった人が、急に眉毛がなくなり、髪の毛が金髪ロン毛になった、まるでスーパーサイヤ人3の悟空ような変貌ぶりだという人もいる……。(繰り返しになるが、僕にはそんなつもりは一切無い)
僕が温厚に見せる理由
僕が他人に温厚に接する理由は、長年に渡って獲得した敗経験から、「こうやって自分を自制して大人しくしていたほうが、一般社会上では他人とうまくやっていける」と、なんとなく体得した処世術なのかもしれないと思うことはある。
中には、「OSWさんの普段の人格は完全にペルソナだ」と、はっきりと言い切る友人までいる。(その友人は、僕が多重人格者だと暗に言っているのだろうけれど、むしろ僕は、これまでの人生の中で「単一人格者」に出会ったことがない)
ただ、上記した理由は、かなり昔、幼少期頃に出来上がった理由であって、今は少し形を変えているかもしれない。
温厚に見せることで、他人の本性をあぶり出す
多分、現在の僕としては、この理由の方が大きいかもしれないと思う。
温厚に見せかけることによって、(多くの悪意ある)相手は必ず油断する。
始めは丁寧に接してくれていた相手でも、一度でも僕のことを「こいつは何を言っても怒らないであろう、都合の良い人間だ」と解釈すれば、途端に掌を返したように横柄な態度で接してくる。
実は、僕はそれを待っている。
他人っていうのは、知り合って1度や2度では、真にどういう人間なのかは、一般的には分からないだろう。(僕には大体分かるけれど)
だから、温厚に大人しく接することで、相手が自分にとって危険(もしくは嫌い)なタイプの人間か、それとも、正しく関係性を保ってやっていけるまともな相手なのかをフルイにかける。これは、一見難しいように見えるけれど、やってみると結構簡単で、それだけ、社会には悪意のある人間が溢れていて、そういう相手ほど、案外簡単に撃退できるとも言えるだろう。
もちろん、僕が出会う(出会ってきた)大抵の人には悪意などあるはずもなく、そういう方々は、僕がどういう人間であろうと、きちんと礼儀正しく接してくれて、良い関係を築くことができる。
しかし、時折、大勢のきちんとした人の中に、悪意のある食わせ物や面倒な輩(ナルシシスト)が混じって登場してくるのも事実であるから、そういう意味で、僕のペルソナは、長年の人生経験で作り出した、ある種、本能的な防衛反応なのかもしれない。
他人を一目で見抜く力
偉そうに自分語りをして人を脅すつもりは一切無いが、僕にはそういう能力がある。というよりも、そういう能力が高まらざるを得ない環境の中で生きてきただけであって、特殊なテレパシーやテレキネシス、透視なんかの、非科学的でくだらないことを言うつもりもない。
僕は幼少の頃、父の仕事の関係で、非常に転校の多い生活だった。
幼い子供にとって、ありとあらゆる環境が一変してしまう「転校」というものは、経験したことの無い人にはわからないだろうけれど、非常に厳しいストレスを抱えることなのだ。なにしろ、基本的には物珍しい目で見られ、大抵はイジメの対象にされることがほとんどだ。
だからこそ、子どもながらに、そういった厳しく劣悪な状況でも、なんとかうまく生き抜いていじめられないようにする必要がある。それには、誰が敵になりそうな奴で、誰が味方・友達になってくれそうな奴かを、1日でも早く見抜く必要があったのだ。
そういう経験を幼少の頃からし続けてきた僕は、気づけば、他人の顔つきや目つき、しゃべり方や歩き方、服装や持ち物、雰囲気等を敏感に察知し、相手の本心や人間性を、かなり忠実に、的確に感じ取ることができるようになった。
営業マン時代に身につけた人の心を読むスキル
僕が人の裏をある程度読めるようになったきっかけはもう一つある。それは、過去に経験してきた営業マン時代の仕事だろう。
営業マンというのは、相手をしているお客の顔色を伺いながら、「このオヤヂはこの商品を、一体いくら値引きすれば買ってくれるだろうか」ということを、瞬時に見抜かなければいけないシーンが結構ある。(少なくとも、僕の携わっていた仕事はそうだった)
そんな商談の場面で、相手を見抜けず、大幅に値引きをし過ぎてしまえば利益が上がらないし、最悪の場合は損失が出るかもしれない。逆に、値引きを渋ったら買ってはもらえず、お客は他所に行ってしまうかもしれない。
そういうことを繰り返し繰り返し、日々、強制的にトレーニング?せざるをえない環境で人格形成期を生きてきた僕は、いつしか、身を守るための処世術として、温厚で大人しいペルソナを作り出したのかもしれない。
それでも僕は温厚だ
再三書くけれど、僕は基本的に温厚だし、滅多なことで怒らないのは本当だから、どうか安心してほしい。
ただ、単に、他人の優しさを利用し、相手の穏やかさに漬け込んで、自分自身のくだらない自我を通そうとする愚か者は絶対に許さない、というだけのお話なのである。
まともな人間性を持っている人間ならば、相手によって態度を変えるなんていうことはしない。相手がどういう人間であろうと、いつも通り、丁寧に礼儀正しく接すればいい。
しかし、残念ながら、社会には、そういうまともな人ばかりがいるわけではない。だからこそ、そういった輩から、ある程度は身を守る手段を持つ必要があるだろう。
僕の場合は、それがたまたま「相手の考えていることを見抜く」眼だったわけであって、それは何も特別な能力ではなくて、ただの経験則であり、一般的な洞察力だと思っている。過去に、たくさん人に騙されて、たくさん裏切られてきたから、今となってはもう誰にも騙されなくなっただけのお話であって、ある種、非常に科学的な対応方法と言えるかもしれない。
そもそも、相手によって態度を変えるようなくだらない輩は、基本的に頭が悪い人の奥を見抜くような聡明さを持っていることは少ない。だからこそ、僕のような人間を、簡単に「良い人だ」「都合の良さそうな奴」と勝手に勘違いして、増長した態度を取る。
こちら側に、すべての行動をチェックされ、データを蓄積され、最終的には核弾頭並みの反撃をお見舞いされるとは夢にも思ってもいない。
そういう場面には、過去、もう何十回も出会ってきた。
大抵の場合は、尻尾を巻いて逃げ出すか、訳の分からない詭弁や言い訳を並べて自分を正当化しようとするかで、実にくだらない最後を迎える。
どちらにしても、人をいじめたり、人をナメたりするような輩は、所詮はただのナルシシストであって、非常に弱い奴なのだ。
だから、恐ることはなにもない。
愚かなナルシシストには、毅然とした態度でガツンと一発喰らわせてやればいいのである。そうすれば、もう二度と手出し・口出しはしてこない。
真の意味で強くて逞しい人間というのは、他人の幸せを喜び、他人の不幸を悲しむことのできる人間なのだ。
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