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ロードバイクチーム『Be-Blue』のブログ

ナルシシズムの恐ろしさ①

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僕の敬愛する作家 丸山健二さんはこういう。

「自分の書く作品(文章)からナルシシズムを徹底的に排除するべきだ」

ナルシシズムの本当の意味

日本では、一般的にナルシシズムという言葉は、「うぬぼれや」みたいな、結構簡単で気軽なものとして扱われているけれど、実際はそうじゃない。

karapaia.com

ナルシシズムっていうのは、「自己愛性人格障害」のことだ。人格障害……、非常に重苦しい響きがある。

ナルシシズムを一言で言うなら「自分のこと以外は考えられない」という病だろう。「自分さえよければ他人なんてどうなったっていい」と考えられる人間性も、一種のナルシシズムだろう。

リンク先にも書いてあるけれど、

ナルシシズムは0か100かといったものではなく、ちょっとした特性レベルから典型的な自己愛性パーソナリティ障害まで、スペクトラム性の(連続した)障害であると理解することだ。誰であれ、人生のある局面においてはこのような行動を見せることがあり得る。

 ナルシシズムが危険なのは、このような性格上の特徴が継続的であり、人間関係を破壊し、他者を傷つける場合だ。何を犠牲にしても勝ち続け、他人より優れていることのが主要なテーマとなっている人の場合、危険が感じられる。
 

今の日本社会(世界的に見てもそうだろうけれど)に身を置いていると、ナルシシズムやその危険性というのは、案外身近に感じることが多い。SNSなんかが一番わかりやすいところだろう。

理由は、先日僕がエントリした、

be-blue.hatenablog.com

こちらの記事に詳細を書いてある。

ナルシシストの集まりは弱い

くどいけれど、僕にとっての「人間の定義」は「未来を容易に想像・想定できるかどうか」だ。

そして、言うまでもなく「他人の気持ちを考える」「思いやり」という能力も、人間特有なのだから、そういうことをできないナルシシストも、僕の掲げる定義からすれば、もはや人間ではない何かに等しい。(辛辣な表現ではあるけれど、致し方ない)

日本社会で生きていれば、異常なナルシシズムやナルシシストに遭遇する機会は非常に多い。日本人の大半は、すでにナルシシズムに侵食されてしまったのではないだろうかと危惧するくらいだ。

どうしてこうなったかと言えば、大勢の国民を「自分さえよければ他人なんてどうだっていい」という考え方に染めておいたほうが都合の良い人たちがいるからだろうと思う。

なぜなら、人と人とが、強い絆や、互いを思いやる強烈な気持ちで結束・連結されているよりも、個人個人が完全にバラバラで、「俺が!オレが!おれさまが!」「わたし!あたし!あちしなの!」と自分自身に夢中になっているほうが脆弱だからだ。

不特定多数を、特定少数の人たちが支配管理する時は、その大勢が結束しているより、バラバラなほうが楽だ。結束していたら刃向かってくる危険性やめんどくささがあるけれど、誰もがバラバラなら、仮に刃向かってきたところで、その影響力はタカが知れている。なんなら、バラバラで脆弱な人たちは、自分が支配されていることにさえ気づかないかもしれない。

弱い人たちは、強い人に支配されるのが、この世の常だろう。

自転車乗りはナルシシストが多い?

確かに、自転車で走っていると、僕と同じようなスポーツ自転車に乗っている人で、「この人、一切周りを見ていないな」という人を見かけることはある。(いわゆるママチャリも同じだけれど)

でも、それは別に「自転車乗りだから」ということでは決してない。日本人の大半は、管理する側の都合で、気づかぬうちにそうさせられているだけの話だろう。車だってバイクだって、なんだって同じ。

国のトップや大手企業経営者らがそういう方向性を向いているのだから、どこにいたってそういうナルシシストに多く遭遇するのは仕方がない。最近の公文書偽造問題やブラック企業問題などが良い例だ。もはや国民性か……?

スポーツ自体がナルシシズムに陥りやすい?

勝負の世界では、「自分さえよければ他人なんてどうだっていい」と考えることは、ある意味正しいとも言える。特に、チームスポーツではなく、個人競技なら尚更だ。

ロードレースという競技もそうだろう。

日本よりも、ナルシシズム文化が早くに浸透した海外文化が発祥のスポーツだ。特に海外のプロレースでは「殺し合い」という表現がしっくりくるくらい過酷な戦いが、どのレースでも展開されている。ナルシシズム歴の浅い?日本人選手では、まだまだ勝てないというのも頷ける。

なにが言いたいかというと、僕はロードレースに向いていないということ

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「ロードレース向いてねえよ、お前!」

僕がロードに乗ろうと思ったきっかけとなった「弱虫ペダル」。

その中でもひときわキャラの立った荒北靖友を僕は大好きで、その影響で、始めはビアンキのバイクを購入しようかと思ったくらいだ。

まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど、以下は、主役の小野田坂道と荒北靖友が、広島の待宮に出し抜かれた直後、協調をするシーンでの会話。

「前に出るためなら、他の人を裏切ってもいいみたいなあの人のやり方が嫌なんです!! 箱学の人たちは強そうだけど、まっすぐだと思います。御堂筋くんも無口で口下手だけど、多分、間違ったやり方じゃないと思うんです」

「くちべたあ? 甘めえよその発想。戦略だよそれも! ロードレースやってんだ! バカ正直なうえに不器用だ! ロードレースに向いてねえよ、お前!

 アニメと現実が違うのは分かっているし、それらを混同する気はない。

それに、僕は本格的なロードレース(日本人のアマチュアが参加できる本格的なロードレースは、ニセコクラシックかツール・ド・おきなわだろうか。他にもあるのかな?)に参加したことがないから、実際がどうなのかはわからないけれど、少なからず、こういうシーンは実際にもあるんだろうか。

(プロのレースでは、それとは逆に、敵チームのエースを引いてゴールを取らせるなんていう、感動的なシーンもある。コンタドール引退の試合の時みたいにね)

でも、向いていないことと、それをやらないことは関係ない。どの分野にでも、向いていなくてもやっている人は大勢いるし、向いていてもやっていない人は大勢いるだろう。(多分、ナルシシズムから一定の距離を置いて生きていきたい僕は、今の所、ロードレースに関しては前者だろうし、日本人には向いていないけれど、とりあえず日本人として生きている)

弱虫ペダルには、非常に考えさせれるセリフやシーンがたくさんある。だから、僕はこの漫画が今でも大好きだのだけれども。

他人には勝たなくていい

「本当はエースになりたいのに、アシストや言うて自分をごまかしているだけや」と、御堂筋が石垣に言い放つシーンもあったけれど、僕は、自分がチームのエースになりたいなんて思ったことは一度もない。

大昔、バンドでサイドギターを弾いていた頃も、自分がリードギターを弾きたいなんて思ったことは一度もない。どちらかというと目立つのは元々嫌いだし、いつも2番手で1番の人を支えるような生き方をしてきた。それが自分の性に合っている。

(僕にサイドギターとしてのあり方を教えてくれた大先輩も、「宇宙一カッコいいギタリスト(笑)」を常に影でアシストしている気がする)

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優勝は僕じゃなくていいよ。

今泉や鳴子くん、手嶋さんや青柳さんと、みんなで一緒に全力で走れて、真波くんや御堂指示くんと出し切って走れて、

最後、チームの誰かが、できることなら最初にゴールしてくれて、

それを先輩に報告できたらなって思ってるんだ。 

(多分、主役の小野田坂道がこういうキャラ設定だったからこそのストーリーなんだと思う。これが逆に(今時非常にありがちで、且つ売れる設定の)主役がオレオレのゴテゴテだったら、僕は弱虫ペダルを読まなかっただろうな、と)

自分が勝たなくたって、チームで勝てればそれでいい。僕は、ロードレースの本当の魅力はそれだと思う。

そして、チームを勝たせるには、メンバー全員がおしなべて強くなければいけない。

強くなるには、まず、「辛いトレーニングを辞めたくなる弱い自分」に勝つ必要がある。その過酷な戦いを乗り越えて初めて、他人との勝負に出ることができる。

つまり、僕は、自分に勝つということが誰に勝つよりも難しくて、自分にさえ勝てれば、もう他の誰かに勝つ必要なんてないんじゃないか、ということを言いたいのであーる。

ロードレースチーム『Be-Blue』ではメンバーを大募集中です!

というわけで、こんな変わったブログを書いている変わり者の私が主催者ですが、実際に会うほうが、ここに書いてある人格よりは多少、否、かなりマイルドですのでご安心ください。

  • みんなで楽しく走りながら、本気で強くなりたい!
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