自分で自分を洗脳するな
現代社会を生きる大多数の人間は、多かれ少なかれ、なにかに支配(洗脳とも言う)されながら生きている。僕もその一人だ。
そして、ほとんどの人は、すべての自分の判断を「自分の自由意思のみで自由に決めている」と思っている。しかし、洗脳されていることに気づかないことこそが、洗脳の本質であり、怖さである。
本来、当たり前ではないことを当たり前だと思い込ませるのが洗脳であり、支配なのだ。
世の中の身近な所には抗えない支配や洗脳が、案外たくさんある
性別、家庭、学校、勉強、進学、受験、就職、結婚、出産、国籍、家柄、血統、出身地、言語、体格、おカネ、時間、納税、政治、法律、経済、金融、宗教、株式、環境。
挙げだしたらキリがない。僕らの生きるこの社会には、そこはかとなく漂う不文律のようなものがそこらじゅうに転がっている。
常識というヤツだ。
常識は、大抵の場合、誰もが当たり前と信じて疑わない。
「なぜそれが必要なのか?」
「本当にそれは必要なのか?」
「本当にこれが正しいのだろうか?」
というようなことを、大抵の人は考えもしないらしい。
つまり、常識に支配・洗脳されている。
「出来ないこと」と「出来ること」ことは、一体誰が決めるのか
進むべき道は、前にしか無い。
お前は何になりたい?
見渡せ。
お前にしか見ることのできない景色を。
お前が今見ているものは、お前にしか見れないものだ。既に人と違うものを、お前は持っている。
不利……、か?
誰が決めた?
お前だ。
これは、背が高くて自転車競技に向いていないと周囲から揶揄され、洗濯係に落ちぶれようとしていた葦木場拓斗に向かって、福富寿一が言い放った言葉。こういうシーンがあるから、弱虫ペダルは好きだなあ。
人は、ほとんどの場合、自分の限界を自分で決める
男だから。
女だから。
歳だから。
貧乏だから。
病気だから。
才能がないから。
あいつが悪いから。
あの子がいけないから。
俺はダメだから。
私は無能だから。
雨だから。
雪だから。
どこそこが痛いから。
あそこが痒いから。
寒いから。
暑いから。
社員だから。
アルバイトだから。
長男だから。
長女だから。
だから、
だから、だから、
から、から、から、と。
人は、多くの理由や言い訳で埋もれていく。他人(資本主義)の都合で作り上げられた、他人(資本家)にとって都合の良い価値観に、自ら望んで染まっていく。
本当は、どこへでも自由に行けるはずなのに、自ら進んで支配され、不自由さを背負って生きて行く。
本当は、大きな翼を広げて大空へ羽ばたく力があるはずなのに、多くの人は、自分から進んで鳥かごに入り、自ら家畜、奴隷として、狭苦しい世界で生きることを選んでいく。
自分を自分で洗脳して、せっかくの可能性をわざわざ積極的に潰していく。
そして、いつしか、本当は自分が一体なにをして生きていきたいのかという目的意識を失い、最後は、辛い辛いと愚痴をこぼしながら死んでいく。
支配は必ずしも悪ではない
勘違いして欲しくないのは、支配がすべて悪いというわけではないということだ。
ロードバイクチームを結成して、仲間同士で強度を高めて強くなる。「あいつに負けられるか!」と自分を追い込むきっかけを作る。これだって、立派な支配や洗脳に違いない。けれども、全然悪いことじゃあない。自分にとってプラスになるなら、必要な支配だってたくさんあるだろう。
問題なのは、プラスになると信じて選択していることが、実際はマイナスになっていることに気づいていないというパターンや、ただの思い込みで、自分の限界値を勝手に決めて落ちぶれてしまうパターンだろう。
1個100円のドーナツを無料で手にいれるため、1時間の行列にならんだり、
ポイントが多く貯まるからわざわざ遠いお店にいくとか、
とても身近に良く在り、愛らしい支配である。完全に、自分ではない誰かに行動を制限・制御・コントロールされている。これは非常に危険なことだ。
え、なにが危険か全然分かりませんか? それはあなたが既に、どこかの誰かに支配されている証拠かもしれません笑
(余談だけれど、人々が、時間が、おカネとは比較にならないくらい重いものだということを理解できなくなって久しい。おカネ最優先の資本主義社会の弊害だろう。念のために書いておくが、時間はカネよりも重い)
思い込んだ時点で、限界値は決まる
逆に言えば、思い込みさえしなければ、無益な支配や洗脳から解き放たれてもっと自由になれる。自分の限界値を今よりも高めることだって出来るだろう。
つまり、なにが言いたいかというと、天国であれ地獄であれ、人は本来、考え方次第でどちらにでも行けるということだ。天国を地獄と思うのも、その逆も、結局は、その人の考え方次第なのだ。
「幸せ」と呼ばれるものもそれに似ていて、結局それらは相対的なものでしかない。それなのに、他人から「お前は不幸だ」と言われて落ち込む人や、他人の幸せを羨み、勝手に自分で自分を洗脳して、落ちぶれてしまう人が多すぎる。
これは非常にもったいないと思う。
なぜなら、他人が決めた価値観に合わせて生きるより、自分で自由に決めた道のりを正しく真っ直ぐ歩いていたほうが楽しいからだ。
今まで、「当たり前」「常識」だと思っていた思い込みをバッサリと切り捨て、視点をほんの少し変えてみるだけで、世界は一変するだろう。そうなれば、今までは難しいと思い込んでいたことにも果敢にチャレンジできるだけの勇気や元気が湧いてくるはずだ。
多分、既成概念に縛られているより、なにも背負っていない真っさらな心の方が身軽で楽だからなんだ思う。重いママチャリより、一切の無駄なものを排除したロードバイクで峠を登るほうが楽なのと一緒だ。
では、どうすればいいか?
- 常識を疑う
- 何事も簡単には信じない
- 物事を論理的・科学的に考える(再現性があるかを実験し立証する)
- イメージや感情、空想や妄想に囚われない
- 観念論を徹底的に排除する
- 自分をできる限り客観視する
2と4、5はほぼ同じことを言っているのだけれど、特に大事なのは3であるのは言うまでもない。
思い込みというのは、大抵の場合、根拠のない非科学的(再現性が無い)な妄想だ。つまり、その妄想さえ排除できれば、何かを勝手に思い込んで、支配や洗脳のドツボにハマることもない、ということに繋がる。
本当に必要なものって、自分で思っているよりも案外少ないものだ。
だから、常識を捨てて、当たり前を疑い、もっともっと自由になろう。
自分を自分で洗脳するのは、もったいない。
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